Visual 生きてます37
1996.6.29 雨の季節の仮設住宅 |
週末ボランティアというボランティア行動に参加させていただいた。(週末ボランティアホームページ)梅雨の季節ではあるが、雨は降らず、かわりに蒸し暑い日だった。
集合時間13:00に神戸市営地下鉄の終着駅・西神中央駅にいても雰囲気がない。おかしいな、と思っていると改札を出て左側の2階の通路からハンドマイクで声が流れてくる。週末ボランティア代表の東条さんだった。
この日は、比較的集まりがよくない日だったようだ。私をいれて37名ほど。名札を書いて胸につけると、東条さんから週末ボランティアの主旨や注意事項などが話される。今日訪問するのは西神第7仮設の一部、114戸である。
市バスに10分ほど乗って西神第7に向かう。
長田区内にあった自宅はがけのそばに立っていたため、築10年の自宅そのものはほぼ大丈夫だったのだが、がけを固めている壁が破損して危険な状態になった。 神戸市から修繕するよう指示されたので、余震があると報道されていたこともあって、とにかく、がけを補修した。 もし崩れたら、その下の家を押しつぶしてしまうかも知れない。 しかし、がけを直すために、自宅を取り壊さなくてはならなかった。 こうして、自宅を失い、がけの修繕費用を負担すると、資金が尽きてしまった。だいたい、10年前にやっと建てた家だったのだ。 63歳。定年を過ぎて、退職した後の震災だった。今は、シルバーセンターに登録しておいて得た、週に2回ほどの駐車場の管理人の仕事をしている。銀行が金を貸してくれるはずもなく、自宅再建のめどはまったく、ない。 社会党の裏切りの罪は大きい。という。 社会党が政権についていたため、震災に対する対応を批判する勢力がいなくなっている。国会での発言を見ている限り、共産党のほうがよっぽど筋が通っている。 彼は、克明に断層や地層について、研究していた。 明治時代の地図が、あるルートで購入できるといい、自宅付近の地図を手に入れていた。その地図と現在の地層図を同じ縮尺になるようにコピーし、照らし合わせる。さらに断層図とも見比べる。 昔、長田は池が多くあった土地だが現在はすべて埋め立てられている。昔池だったところは、当然、地盤が弱い。明治の地図によりそれが分かるのだ。 彼の自宅があった土地は池ではなかったようだが、山側のしっかりした地盤と、堆積層の軟弱地盤の境目にあった。断層でいえば会下山断層と須磨断層にはさまれていた。 注意すべき場所であったことが、今なら分かる。 神戸で大規模な地震の可能性があったのは、知られていたことだ。そのことを市民に警告しなかったのは、行政の怠慢だ。しかも震度6の可能性があるといわれていたのを、震度5に過小解釈した対策しかしていなかった。 東海地方などのような取り組みがあれば、これほどの惨事にならなかったはずだ。神戸市はその罪をどうして感じずにいられるのだろうか。 |
夕暮れの西神南第4仮設 |