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忘れんとってね1・17




 10月10日に、神戸長田の鷹取教会で、「忘れんとってね1・17」という集会が開かれた。たまたま、前日に知人からビラをもらったので、のぞいてきた。
 信じてもらえないかも知れないけど、私は鷹取教会に行くのは生まれてはじめてだった。実は鷹取駅というのもはじめてだ。(これはさすがに私だけかも知れない(^^;))新長田より東に住んでいて、職場がさらに東ならば、新長田にいく機会はあってもそれより西にいく機会はあまりない。しかも、須磨や垂水にいくことはあっても生活地である鷹取へいく用事というのは知り合いでもいないかぎりあまりないのだ。これは私が車に乗らないこととも関係しているかも知れない。
 はじめてだったので、迷った。着いたときにはもうだいぶ始まっていた。


1996.10.10

 震災直後のとき、被害を受けた人々の文章が読み上げられる。
私は神を信じないが、神を信じる気持ちは知りたいと思う。やはりここが教会のせいなのか、切々と謳いあげられる悲惨な体験は、しかし人間のすごさ、素晴らしさを感じさせずにはおかず、おごそかな、賛美歌のようにすら感じた。



 そのあと、ディスカッションが行われた。鷹取教会の神田神父さんや、「がんばるこころはつぶれへん」のTシャツのデザイナーわっくんなどが参加した。
 震災後、神田氏のことを聞くたびに面白い人だなぁ、と思っていたがそのイメージ通りの人だ。きっとそのうち、話し合う機会があるような気がする。楽しみだ。

 ゆったりとした時間の流れを作り出せていたことには感心した。そしてその中でたしかに忘れかけていた、たくさんのものを思い出したように思った。
 そう、そして、私が忘れかけていた一番大事なものは、怒りだ。焼かれていった人や今も苦しむ人々が、訴えきれない怒りを、私はけして忘れないでいきたい。


秋の出合い「つばす」




 味覚の上で、ちょうど合う食べ物同士が季節を同じくして出てくることを「出合い」という。春の神戸の出合い、いかなごと木の芽の話は春に書いたが、秋の神戸出合いはつばすとすだちだ。
 秋の魚というと多くの人にとってはさんまだろう。しかし、これは瀬戸内海ではふつう獲れない。神戸の人間にとって秋の魚といえば、なんといっても「つばす」なのだ。
 つばすは、もっとも知られている代表的な出世魚・ブリの幼魚のこと。関東では「わらさ」とか「いなだ」とも呼ぶが、関西では、「しんこ」「つばす」「はまち」「めじろ」「ぶり」というふうに「出世」する。
 このように呼び名がたくさんあるのは、不思議に思うかも知れないが、私の感覚からすれば当然である。なぜなら、利用する側からみればこれらは「別の魚」だからだ。同じ魚だというのは、生物学上のハナシにすぎないのだ。煮しめてまるごと食べられるような魚と切り身を照り焼きにする魚が同種であろうとなかろうと、それは別モノなわけだ。
 その意味で、はまちのさしみを食べた人がつばすのさしみを想像するのは難しいかも知れない。この季節に瀬戸内海を回遊するつばすは、余分な脂肪を持たず、くせもなく、白身の魚に近い食味がある。そして獲れたてを活けジメにした身はぷりぷりとした歯ごたえがある。
 そして、その淡白なさしみに、すだちを搾ってかけることになっている。なぜか、そういうことになっているのだ。本当は、脂肪が多いものにかけるとあっさりとした食味にする働きがあるわけだが、ただでさえ淡白なつばすにすたぢをかけることで、脂っけのないすっきりとした味になる。夏に弱った胃腸にやさしくしよう、ってことなのかも知れない。
 同じつばすでも、2種類存在する。このあたりが魚のむつかしいところだ。一つは釣りのつばす。さしみにするなら、そりゃ、こっちのほうがいい。12時間くらいは活かっている。もう一つは網のつばす。こっちは数時間しか活かっておらず、普通焼いたり煮たりして食べる。見分けるのは慣れれば容易だ。網のつばすは刺し網で獲るので、首のところが擦り傷のような感じになって全体的に傷んだ感じがどうしてもするから、分かる。釣りのつばすは傷がなく、みるからにピカピカしている。
 それでも分からなければ値段は判断すればいい。釣りのつばすは普通、1匹千円以上する。対して網のつばすは1匹千円以下だ。スーパーなどで2匹380円とかで売っているのはすべて網のつばすである。それでも、焼いたり、鍋にするなら十分うまいから、お買得である。



 これは、さしみにしたつばすのあらで作った赤出汁(あかだし)。三つ葉を添えてある。さしみに、赤出汁。これにお酒が少々と白いご飯があれば、それが幸福というものだ。


金木犀の匂い




 秋は金木犀の季節だ。長田は金木犀もまた多い。コーキュージュータクガイなどでは、金木犀を生け垣に使ってみごとなこともあるが、長田では小さな木々が匂いのシンフォニーを奏でるのだ。
 青い空に浮かぶ橙色の金木犀の花。
 その匂いで、私は秋だぁ、と思う。これも幸福だ。






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