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生きてます 全集1〜5

パソコン通信PC-VANの第三世界ネットワーキングに
アップした報告の記録です。

目次


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★タイトル (KCD72893) 95/ 1/19 13:56 ( 45)
生きてます。<とーち>

★内容
 心配していただいた方もいらっしゃったかもしれません。とりあえず、元気です。
 やっと電気がきたので、このMSGをUPしてます。電話回線は未だ不安定だし、貴重なリソースですので、NIFかPC−VANかどちらかUPできたほうだけにUPしますので、転載をお願いします。

 ドロドロドロというバスドラムのロールみたいな低音が夢の中でひびいたかと思うとドーンゆさゆさっときました。私は静岡で震度4は経験していたのですがくらべものにならない揺れです。揺れる振幅も長く速さもかなりありました。しかもずいぶん長く続いたように思えます。ゆれを感じながら、まだ揺れるんか、もうやめてくれ、と思いました。ゆれの方向は南北です。したがって、家の中のものでは、南北方向に向かっているものは倒れることになります。
 ゆれがおさまって全員が無事であることを確認して、火は使ってないことを(寝ていたのだから使っていないに決まっているのだが)思い出し、確認しました。懐中電灯を探して、着替えをして、ラジカセに電池をいれました。これで、ようやく外出体制ができました。家の中は、散乱しきっています。たなの上のものはすべて落ちており、食器は割れ放題になっています。
 近所の人達と無事を確認しながら、夜明けを待ちます。近所で、とじこめられた人がいるようで、懐中電灯を渡そうとしたりしていました。

 夜が明けて、窓から外を見たとたん、状況が把握できました。ななめ向かいの鉄筋4階(一部6階)建てのビルの1階部分が崩れて、2階が1階の高さにきています。(このビルからは、今も救出作業が行われています)3軒となりの木造2階建は全壊して道路に木材が散乱しています。ほかにもちょっと見渡すだけで、全壊の建物がいくつもあります。ほかにも斜めにかたむいている家などがあり、木造の家で無傷なものがめずらしいくらいです。
 ところが、ラジオの報道は、被害が少なかったところで、けがをした、というような情報ばかりです。被害が大きいところからの情報が入ってこないためのようです。正確な情報がないために、対応が後手に回るのではないかと思っていましたが、その通りになってしまったようです。

 そのご、火事の恐怖などがあり(なにせ、水が出ないため初期消火もなにもあったものではありません)、私が中学まで住んだ実家も全焼しました。

 救援対応としては、水が不足しつづけていました。私達は、近くに井戸を汲みだしているところがあったため、それを分けてもらいました。この近所では、このように井戸が出ているところが複数あり、給水車などよりはるかにこの井戸のほうが役にたっています。
 救援作業では、今となっては人手だけではどうしようもないところが多くなっているように思えます。斜め向いのビルもそうですが、クレーンなどがないととても救援できないのです。報道は落ち着いて来ているようにされているようですが、現場は、現在進行型です。

 さて、買い出しにいきますので、このへんで。またレポートします。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 1/19 20:27 ( 96)
生きてます。2<とーち>

★内容
 19日にUPしてから、その夜に再度UPしようとすると、もう電話がつながらなくなってしまっていました。まだまだ不安定なようです。
 電気がなかったときは、色々と書き込みたいことがあったのですが、今となってはよく思い出せません。電話は、電気・ガス・水道などと違って、障害がおきているかどうかにかかわらず回線をつなぎっぱなしにしておけるためか、地震の直後でも使えました。地震の2時間後にいきなり東京から電話がかかってきて、びっくりしたものです。その代わり、いつもつながるというわけにはいきません。

 気の付いたことをランダムに書きます。

 私の住まいは鉄筋4階建ての貸しマンションですが、比較的新しく建てられたこともあってか、建物自体はビクともしませんでした。(少なくとも見た目は)とりあえず、これがなにより幸いでした。
 火事は恐かった。地震の直後、私の住まいの東側約300m、西側約400mで火事が起こっていました。結局これらの火事は他の火事と統廃合をくり返しながら30時間以上も燃えつづけることになるわけです。
 私の住まいに火が回らなかったのは幸運としかいいようがありません。
 とはいうものの、地震の後、夜が開けてから私の近所でもかなりガス臭がしていたため、みなさんがいろいろ手をつくして元を確かめたりしていました。このときに、うっかり引火していれば、私のところも火事となっていたでしょう。いったん火がついてしまえば、水が止まっているので、消す手だてはないのですから。ちなみに、私の家の浴槽にはほぼいっぱいのお湯があったのですが、地震のためにフタもふっとばされて1/3しかのこっていませんでした。また、ビルの場合は水道タンクのパイプがちぎれたりして、タンクにのこっている水も使えなくなっていたりしています。私のマンションでは、このために水道が供給されるようになっても、各家庭内の蛇口からは水はでません。

 地震後、最初の日と次の日は、天気は晴れているのですが、火災の煙のために日差しはどんよりとくもっていました。

 精神的には、余震の恐怖と電気・ガス・水道のないことがたいへんなダメージです。

 余震は、マグネチュード6程度の余震の可能性があるとのことで、再度、あの恐怖がやってくることを想定せざるを得ないため、気が抜けません。具体的には、火を放置できないため、ろうそく(キャンプ用の携帯型ランタンを使っていたの)を燃やしている間はかならず誰か起きているようにしていました。
 この余震の恐怖というのは、ほんとに筆舌に尽くしがたいものです。余震といってもこれまでの最大は震度4近くに達していて、それだけでも十分恐怖(関西人にとってはとくに)なのに、そろそろくるかなぁ、と思っているとちゃんとくるわけですよ。ヒッチコック効果最大なわけで、疲れ果ててしまいます。

 電気・ガス・水道が止まっているということは、暗い・寒い・心細いということです。今回は月がかなり大きかったのですが、煙でほとんど見えませんでした。暗いことは、暗闇になれていない都会の人間にはそれだけでダメージを与えます。しかも、冷えこんで寒く、水がない、入手する方法が確保されていない心細さに余震の恐怖が合わさって心労は極みに達します。
 水がないことも、遭遇しないとわからないことでした。トイレを流すのも、汚れた手を洗うこともできなくなるのです。私は、風呂の水を節約して使えたのでまだましでした。

 報道のヘリコプターが各社いりみだれて、いれかわりたちかわりやってくるのにはほんとに、閉口します。おまけに長田はメインターゲットらしく低空で飛んでくるのでローター音でラジオも聞こえません。精神的にまいっている時に、あの音は、傷害行為に匹敵します。さすがにヘリ同士がぶつかったりの事故はありませんでしたが、これまでそういったこともあったわけで、このような場合は、各マスコミで代表して1機にするなどの措置を行うべきでしょう。

 前回書いた、斜め前のビルに閉じこめられた人は、救出されたようです。ただし、生きて、かどうかは分かりません。地震のあった午後、女性の方がこのビルに向かって、おとーさーん、と2時間ほど叫びつづけていたのが、耳にやきついています。おそらく、返事がないので、他の場所にいる可能性を確かめて、やはりここにいるはず、ということになったのではないかと思います。私が生きている、ほん、10m先で。

 こうしたことはめずらしいことではありません。倒壊した家は、あちこちにあります。今日で3日目になりますが、葬儀は未だ見たことがありません。それどころではないのです。もっとも私の住居の最寄りの寺は、本堂ごと全壊していますが。
 ます。この地区の重要な産業であるケミカルゴムの工場も、のきなみ壊滅しています。多くの人々が、即、失業することになります。

 消火活動は混乱に続く混乱だったようです。私が生きてきた菅原は、戦後5〜10年を経て建てられた木造2階建が連なる地域で、前から火がでたら一蓮托生であろうと思われていた場所です。それでも、地域の人々はそれだけに日頃から、備えをしていたので、水さえあれば、ここまで燃えることはなかっただろうと思います。
 消防車は、水がないので、500mほど離れた新港川から汲みだそうとしていましたが、水がホースの高さほどしか流れていないのです。けっきょくろくに火を消せないので、2kmほど離れた海から汲みだしましたが、これとて、ホース1本についやされる労力が大きすぎて量が確保できません。しかも、これまでにかなりの時間がたっており、菅原はほとんど消火らしい消火活動がなされることなく火は回りきってしまいました。

 長田で、老人の死者が多いことについて、老人だから逃げ遅れた、というようなことをマスコミがいっているようですが、長田に木造家屋に一人ですんでいるのはほとんど老人なわけです。もともと老人が多いわけ。そして、その老人は地震に耐える家には住んでいないわけ。
 要するに、
 北に被差別部落があり、南に在日朝鮮人の人々が住む町。その我が愛する町・長田は貧困ゆえに犠牲が出たのです。今は細かいことを話すつもりはありませんが、それが私の実感です。そしてこの貧困は、この国の政治・経済の構造と差別ぬきには語れない。
 それをみつめるために、私はここに住みつづけ、今、その最大の象徴を見た、と私には思えます。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 1/20 22:26 (111)
生きてます。3<とーち>

★内容
 どうも、NIFTYの神戸APは稼動していないみたいで、つながりません。当分PC−VANにのみUPしますので、転載をお願いします。
 また、現地住民としての、マスコミへの意見なども織り混ぜますので、マスコミ方面へも私のMSGを伝えてもらえれば嬉しい。(文章を推敲している間がないので、かきっぱなしですが、手直し等、してもらってかまいません)

 マスコミでは、ある一面を強調して伝えてしまう傾向があるようで、今は悲惨さを強調する時期のようです。しかし、現場はさまざまな人々が、さまざまな立場からいりみだれて行動しているのが現状です。
 悲惨な状況がまだまだ進行している傍らで、すでに復興に向けて動きだしているのも事実です。カメラアングルを気にして、焼け野原だけがカメラに入るようにアナウンサーがしゃべっていたりしますが、カメラを180度パンすれば、そこには国道を追い出された車が列になっており、自転車にのって買い出しにでかける人々が続いているのです。

 今日、長田、兵庫のかなりの部分で電気が通じました。これにより、各地でスーパーや商店が営業を始めたようです。スーパーが通常の売り方をするためには、レジが不可欠で(最近、値札も付いてませんから)あるため、電気によってやっと販売が可能になった様子です。
 誰の役にたつかよくわかりませんが、私が見た、これまでの販売状況を書いてみます。
ジャスコ長田店:18日にすでに、電池と1000円パック(菓子とウェットティッシュ、1.5リットルジュースなどの組み合わせ)などを販売していました。19日には、500円パックに値下げして(^^)、紙おむつ等も販売しています。店内は真っ暗なままですから、店の前での販売です。
関西スーパー兵庫駅前店:20日、2階あるうち、1階のみで通常の販売をしていました。カセットコンロのボンベやトイレットペーパーなどニーズにあった商品を揃えていました。
 こういった販売情報は、私達にはとても重要なのですが、報道はまったくありませんでした。20日の夜にやっと始まったようですが。
 報道についていえば、生情報が欲しい。「水道の完全復帰には相当の期間が必要なようです。」こんなのが情報と呼べるでしょうか。これではなにもいっていないのと同じです。こんな下らない情報がデマを誘発するのです。完全に復帰などしなくていいのだ。とりあえず、チョロチョロでも水が出ればいい。段階的に直すというのなら、海抜の低いところからするといったことや、なにが原因で今は修復期間がはっきりさせられないのか、など、正直な現状をそのまま報道して欲しいわけです。理由がはっきりすれば、人は待てます。理由もなしに相当の期間などとごまかされて、おとなしくしている全体主義的国民にまで私達はおちぶれてはいない。
 そういった生情報を引き出すのがマスコミの使命じゃないか。いいかげんな情報を右から左に流していて、情けなくないのか。

 あと、神戸鉄道の港川駅から上にのびる商店街は部分的に販売を始めていました。たまご、ほうれんそう、つけもの、くだものなど、けっこう様々なものがそろいます。
 また、JR新長田駅の南側に広がる商店街群では、この界隈のメインストリートである大正筋は全焼してしまいましたが、六軒道はのこっていて、野菜や果物などの販売が始まっています。
 とおりがかりに聞いた話しでは、神戸中央市場では部分的に商品が入ってきているとのことなので、今後、こういった流通ルートは充足していくと思われます。

 驚くべきことは、私が見た限り、こういった商店の値段がまったく上がっていないことです。かえって安いくらいです。これはすばらしい。関西の本当の商売人の感性からいってこれは当然のことなのですが、それが失われていないことは、うれしいことです。

 今のところ、不足しているものといえば、水を汲むためのポリ容器などでしょうか。神戸では、結局去年も断水にならずじまいだったので、通常の家庭では水用のためおき容器が普及していないのです。そういう私も、キャンプ用のものはありますが、キャンプと日常生活ではやはり量がちがってくるでしょう。今は節約しているので大丈夫ですが、長期となると苦しいかもしれません。
 家が残って、電気も来ているという、長田にあっては恵まれた環境にあってのぜいたくな悩みかもしれませんが、今、肉体的に一番つらいのはあたまがかゆいことです。(^^;)

 話しは飛びますが、倒壊した高速道路のことが大きく報道されていますが、私の家の近くの阪神高速神戸線の港川インターの降り口は途中から倒壊しています。また2号線の上を走る阪神高速の柱は2/3くらいが、上から1/3くらいの部分の回りのコンクリートが弾き飛んで、外周を囲んで縦に走る鉄骨が樽型にゆがんでいます。この柱はつくりなおさなければならないでしょうから、このあたりはほとんど作り直すことになるわけでしょう。

 軽い冗談ですが、複数の人から聞いた、ここにいる人々にはとても納得のいく話し。海に空港つくったり、あんなごつい橋作ったりするから、海の神さんが怒ったんや。な、あそこに断層が走っとんてんやろ。

 壊れたスーパーにどろぼうが入った、という話しもありますが、本当にみんな助け合って生きている、という感じです。列にならんでいたら、あっちのほうが早いよ、と教えてくれたり、開いているスーパーを教えてくれたり、知り合いや親戚はもちろん、それこそ袖触れただけの人からもそういったやさしさを受け取ったりします。人間とは不思議なもんで、そのようにやさしくしてもらうと、別の人にでもやさしさを返さずにはおれなくなるものです。火の回りも速かったが、やさしさが広がるのも速かったのかも知れません。
 不必要な買い占めなども、私が知る限りありません。実に整然としています。あるスーパーでは、一人何個まで、という制限を付けていたのが、事情があって1時間後に再度いくと制限が取れていたりします。でもむやみに買う人はいません。これには感心しました。
 もちろん、すばらしい光景ばかりではありません。救援物の配分などでのトラブルはありました。しかし、私はこれをそこにいた人々の問題とは思えません。とうてい足りない救援物の量、次の予定をしっかりと伝えられない(何度もいうが、分からなければ、どう分からないかといった理由がしっかりしていれば人は納得できるものだ。ちゃんとした情報がしっかりあればトラブルは防げる)側に問題はあるのです。

 ちょっと、気の早い話しかもしれませんが、気になることを少し。
 古い木造家屋をつぶして新しい家を建てたい、というのは神戸市の昔からの希望であったと私には感じられています。そのこと自体、悪いこととは思いませんが、往々にして、新しい住宅は建ち、元々住んでいた人々は段階的家賃などで優遇されているようで、いつのまにか払いきれなくなり困窮していく。そういったケースがあったと聞いています。
 木造家屋に住んでいた人々は、老いてはいても地域のなかでそれぞれの役割を生き、「暮らし」を築いてきた人々です。そのような人々のつながりを断絶しハコに押し込めるようなサイカイハツはしてほしくない。
 また、当然そこで予想される汚職や賄賂といった行為があるかと思うと今からイヤになります。復興の過程の監視をしっかり行って欲しい、と思うのです。また、冗談でも、この地震でXXの株が上がるなーというような発想をしてほしくない。その発想は、やはりどう考えても経済に邁進しすぎたこの国の愚かさを表しているとしか思えないのです。
 この焼け野原に愚かな墓標を建てるようなことにならないよう、注視してください。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 1/21 17:19 ( 43)
生きてます。4<とーち>

★内容
 実際、ここで生きていて、必要なものなど気の付いたことを書きます。

 当面の食料はかなり入ってきており、不安はなくなってきています。

 水道は回復のメドがたたないため、これまでは最低限の飲み水確保が主だったわけですが、長期となると身体や住居の衛生を保つための水も必要となってきますので、水を運搬するポリタンクが不足してくるのではないかと思います。前にも書きましたが神戸ではあらかじめ準備していた家は多くないので。

 食料も飢えをしのぐ意味から、食による精神的安定や栄養補給の必要が出てきますので、煮炊きできる必要があります。ガスが止まる状態も長期に続くと思われますので、カセットコンロとガスボンベが必要です。(なお、これにより炊事も行われますので、ますます、水の使用量が増えることになるわけです。)

 あと、役に立つかどうか私にはよくわからないのですが、水を使わないで髪が洗えるシャンプーというのがありますね。女性の方はとくにあれを欲しています。衛生的にはあんまし効果がないようにも思うのですが、この際、精神的安定には重要です。

 余震による停電にそなえて、電池も必要なわけですが、単一電池が買いにくくなっています。ただ電池は、容易に思い付く必要物ですから、かなりの分量が入ってきているのと、停電が直ってきている現在、使用量が増えるものではないので、緊急性は低いと思います。

 住宅の必要性はマスコミが報じている通りですが、本来ならば危険な家にも住んでいるひとがけっこういます。そのままでは、大きな余震があれば再度悲劇が繰り返される可能性があります。今、避難している人だけではなく、十分すぎるほどの住宅が提供される必要があります。

 なお、上記のことは、基本的に購入できることを前提とした話しです。お金を持ち出す間もなく待避した人も大勢いますので、それらの人々に十分な備えを供給するのは、上記の販売状況とはまた別の話しです。

 マスコミですが、たしかに盗難みたいなことも発生していますが、そればかり取り上げるのではなく、報道には埋もれているすばらしい助け合っている場面を、丹念に探して報道して欲しいと思います。
 ただでさえ苦しい中で、警戒心をもって疑心暗鬼で暮らすのはつらいことです。
しかもそれは悪循環をうみます。どうせなら、助け合いの良循環を促進する報道を目指してほしいものです。電気が通じて、現場ではTVを丹念に見ています。報道が現場の雰囲気にも影響を与える場合が十分考えられます。ヘリコプターの件もそうですが、報道は、完全な第三者ではなく、現場に影響を与え得る、重要な一員であることを認識してほしいと思います。
<とーち>

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★タイトル (KCD72893) 95/ 1/22 13:56 ( 72)
生きてます。5<とーち>

★内容
 最も重要な(今、地上で動いている人にとって)当面の食料や飲料水はなんとか足りてきましたが、水道がないことによって、伝染病などが心配になってきます。井戸を利用している人は多いので、この雨で汚染されないかも不安があります。(私達は飲料には煮沸しているのですが、燃料が十分でないためそうできない人もいるのではないかと思われます。)ただ、水道局の給水車もようやく実用になってきました。(何時間も待たなくても給水できるという意味)
 今、現在もっとも急務なのは、衛生上の意味から水道の復旧だと思います。

 ここ、長田の中央部では、簡易トイレも公園に6つほど設置され、それほど待たずに利用できるようになりました。

 水のいらないシャンプー、スーパーにあったのを幸運にも購入できましたので、使ってみました。地肌からよくブラッシングしたあと使ってみると、なんだかよくわからないが、感覚としてとても効果があります。2つ買えたのでとなりにも分けたのですが、たいへん評判がいい。資生堂さん、被災地に送ってくださいな。(安全性、問題ないですよね?)

 情報が、やっぱりいいかげんですね。
 ミネラルウォーターを¥2000で売っていた、というような情報はちゃんとウラをとってから報道してほしい。報道するならするで、ちゃんとその人にインタビューするなりして、問題の本質をさらけだすような報道をしてほしい。
 私も人づてに、そういう話しをいくつか聞いたのですが、どうもウワサに尾鰭がついている感じが高くて、ウラをとることができなかった。ウワサを増幅して、善意の人々にソンした気分をあじあわせるようなおろかな報道はしないでほしい。(もちろん、そんなんで、ソンした、と思うひとはいないでしょうが、気分的にダメージを受けるのですよ。現場では。)

 住宅供給について、ちゃんと報道してほしい。今、報道されている住宅では足りないのは明白でしょう。じゃあ、どうするつもりなの?
 傾いている家に住ませるわけ?今、行政はどう考えているわけ?もしくは、どういうスケジュールでこの問題を、誰が、検討していこうとしているの?
 今の報道は、大本営発表の最終的決定事項を流しているだけですよね。その過程や、検討の中身をダイナミックにどうして報道しないの。検討途中の情報を流すとそれが決定と間違われて混乱するとでも思っているのでしょうか?逆ですよ。
情報が少ないからデマが流れるんでしょう。もっと、きっちり情報を流してほしい。

 そして、長期の計画について情報を流してほしい。今日、簡易住宅に入れなくても来週入れると分かっていたら、混乱はおこらない。譲り合いさえ可能だ。でも、今日入れないと、どうなるかわからないと、どうしても譲りにくくなる。あたりまえでしょう。修羅場を演じさせないで欲しい。

 私は、長田の現場に住んでいるものとして、これからの問題に限って書き込みを行っています。過去のことについてもいろいろ書きたいことはありますが、それはひとまずおいています。まだまだ現在進行型だからです。これからが本番だから。NIFTYは読めていないのですが、そちらでもいろいろ論議されているかとも思いますが、今、進行中であることを考えて、前向きなこと、今、どうすればいいのか、を論議してほしいと思います。で、マスコミなどへの働きかけなど、できることを行って欲しいのです。

 未だに、余震がつづき、不安な状態が続いています。この余震の恐怖というのは、話しには聞いていましたが、やはり体験しないと分からないものですね。サイレンも数十分ごとにひびいてきます。菅原の全焼した実家(厳密には親はまた別に場所に住んでいたので元実家ということになるでしょうか)の回りは、私が知っているかぎりまだ(特定の目的がなければ)調査などはされていません。みよりのない一人暮らしの方などがすくなからず住んでいましたので、まだ、亡くなった方がいらっしゃると思います。

 5階が崩壊した西市民病院ですが、長田に住む人にとっては、「やっぱり」というのが正直な感想です。この病院は、元々はかなり古いもので、それを立て直すことなく、改修を重ねて外見だけきれいに仕立てたものだったのです。
 内部の作りも、最近の機能的な病院の作りとはかけはなれたもので、ポートアイランドの中央市民病院との対比は象徴的なものがありました。
 経営良好の「神戸市株式会社」の施設の病院が機能してなくて、企業の病院などが機能しているというのも情けない話しですが、私達には予想できることではありました。
 こういったことが、西市民病院が被差別部落と近接していることと無縁ではないと、私には思えています。
<とーち>

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